『法華経』に学ぶ
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ある日、長者(父親)が窓の内から遥か外を見ると、そこには疲れ果てて痩せ細り糞や汚泥、さらには塵ちりにまみれながら働いている男(息子)の姿がありました。そんな姿を見た父親は、大いに悲しみました。そこで父親は、身に着けている装飾品をすべて外し、上等な衣服を脱ぎ、粗末で垢にまみれた服を着ました。さらには泥で体を汚し、右手には汚物掃除の道具を持ち、息子と同じ風体をして近づき、働く人たちに向かって『さあ、みんな一所懸命働こう。さぼったりすることのないように』と言ったのです。つまり父親は、素性を隠し方便を用いて、息子に近づいたのです。 しばらくしたある日、長者は窮ぐう子じ(息子)に向かって言いました。『いつまでもここで働いていなさい。もうどこにも行くんじゃないよ。給金を増やしてやるし、食器や米から塩や酢でも、必要なものはすべて与えてやろう。ここには年配の使用人も大勢いるから、安心して何でも言いなさい。私はお前の父親のようなものだから、何も心配することはないんだ。私はもう歳をとってしまったけれども、お前はまだまだ若いし、働き者で悪いことをするような人間には見えない。今からは、私の実の子として接することにしよう。』そして即座に窮子に対して「息子=我が子」と名付けたのです。 窮子はこの処遇を大いに喜びはしましたが、自分は雇われ人で愚劣な人間である、との思いのままでした。そうしたことから長者である父親は、窮子に二十年間汚物の掃除に当たらせました。さらに年月が経つと父親と窮子は心が通じ合い、お互信解品第四③-96-     

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