『法華経』に学ぶ
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提だ い、迦か旃せん延ねん、迦か葉しう、目もっ犍けん連れんの四人が『譬喩品』の「三ては、この子が悉知しています。』窮子は、この言葉を聞いて大いに喜びました。そして今までにない思いを抱いて『数あまた多ある財産を欲しいと思ったことは、一度もなかった。それなのにたった今、この満ち溢れる財産を、求めてもいないのに手にすることができた』と感じたのです。」以上が四大声聞と呼ばれる仏弟子の長老、須しゅ菩ぼ車火宅の喩え」を拝聴し、その領解(理解)を「長者窮子」という喩え話に託して述べた物語です。この譬喩は、釈尊を長者に喩え、四大声聞を窮  ょ  と「三車火宅の喩え」と同義で、釈尊が私たち衆生子に喩えています。宗教的な意味合いを訊ねますを我が子(教化の対象)とご覧くださり、常に慈愛の思いを抱かれ、さまざまな巧みな手立て、すなわち方便をもって導かれ、最終的には仏の智慧の世界を必ず与えて下さる、ということになります。 窮子が父を捨てて逃げ出すことは、大乗の教えを捨てて、迷いの世界に入り込むことを意味します。その後、窮子は五十年間放蕩生活を続けましたが、あるとき長者の屋敷の前に現れ、そして雇われの身となりました。これは、釈尊と弟子は決して切ることのできない親子関係にあり、釈尊は弟子に対して必ず導きを垂れて下さることを意味します。さて長者は、身に着けていた装飾品をすべて外し、窮子と似た身なりをして近づき、そして一緒に作業にあたります。つまり釈尊は、はじめは弟子それぞれの能力に合わせて教化(説法)を施すことを意味するのです。やがて、長者と窮子の心が通じ合い信頼関係が結ばれました。さらには卑屈であった窮子が、過去の愚かな行為や思考を悔い改め、大志を抱いたことを知った長者は、窮子が実子であることを明かします。 ここで窮子は、長者から一切の財産を与えられ-98-

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