『法華経』に学ぶ
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窮子を屋敷に引き入れた長者は、素性を隠し窮   子と似た風体を装って近づき、一緒に汚物掃除にあたります。つまり、弟子の能力に合わせた、あるいは弟子の目線に合わせた説法、すなわち段階を経た方便説法が施される、ということなのです。すでに何度もお話し致しましたが、この方便説法は、釈尊御年七十二歳に始まる『法華経』の説法まで繰り返し続けられます。そして次に釈尊は、・方等時八年という年月を費やされて『維摩経』『阿弥陀経』『大日経』等さまざまな大乗経典を説かれ、先の阿含時に説かれた小乗(声聞、縁覚)の教えに執着する弟子たちを諌いさめ、大乗(菩薩)の教えに導き入れる教化をなされました。これを「弾たん呵が」といいますが「叱りつける」ことを意味します。すなわち、小乗の教えに執着する弟子を叱り、大乗を志向するよう教化を施す、ということです。また「恥ち小しょう慕ぼ大だい」といって、小乗の教えを恥じて、大乗の教えを慕う心を起こさせる教化を施されました。さて、長者窮子の経文を訊ねますと「二十年の中において、常に糞を除はらわしむ」とあります。これが阿含時十二年、方等時八年の二十年間の説法を指しています。この二十年間の教化(汚物掃除)を経て、長者と窮子は心が通い合い、信頼関係が結ばれました。これ以降、窮子は長者の屋敷を自由に出入りできるようになりましたが、それでもまだ、もとの粗末な場所に居住しています。つまり、四大声聞たちは釈尊に信順(信じ、素直に従う)しながらも、釈尊が説かれる大乗のさまざまな教えは、菩薩の教えであって自分たちの分際ではない、関係のないことだ、と思っていたことを喩えています。 ところで、先の華厳時、阿含時(説法された場所が鹿ろく野や苑おんであるところから、鹿ろく苑おん時じとも)は、説かれた経典の名前、あるいは説かれた場所から名づけられています。のちの般若時、法華涅槃時-101-

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