『法華経』に学ぶ
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も説かれた経典名から名づけられています。ところが方等時は、経典名でも説かれた場所でもありません。「方」には、「やり方、方法、処方」あるいは「広く」などといった意味があり、「等」には「ひとしい、同じ」という意味があります。つまり「方等」とは説法の方式を表現したもので、弟子の能力に合わせて、さまざまな説法がなされたこと、そして、それぞれに応じた利益が等しく与えられることを意味します。さて長者は病に罹り、自身の臨終がそう遠くないこと知り、窮子に一切の財産管理を命じました。これが、・般若時二十二年間『般若経』を説いたことにあたります。この期間の説法を「淘汰」といいます。「淘」も「汰」も「水洗いをして不純物を取り除く。より分ける。水で洗ってえらびわける」という意味があります。 釈尊は方等時の説法で、多種多様な教えを説かれましたが、これによって小乗の教えに固執する仏弟子たちに対して、小乗を離れて大乗の教えを志向することを教えたのです。すなわち「淘汰」とは、教えには、小乗や大乗といった区別はなく、すべて大乗の教えに統一したことを意味するのです。しかしながら、ここで説かれた大乗の教えは、依然として方便の教えでした。この時期に説かれた大乗の教えを「権ごん大だい乗じう」といいます。「権ごん」には「かりそめ、もくろみ、便宜的な処置」さらには「正に対する副」等といった意味がありますから「権大乗」は、あくまでも方便であって、その内容は真実を顕したものではなく、法華経に導く方便説法であったことが理解できます。 さて窮子は、長者の命を受けて一切の財産管理を任されました。しかし、長者の所有する財産を知り尽くし、それらを管理する立場になっても、その財産は長者の所有であって、窮子のものでは ょ  -102-

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