『法華経』に学ぶ
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経』が他経に勝れている一つの理由として掲げておられるのです。さて第二の教相「化導の始終不始終の相」は、第七章『化城喩品』に説かれた物語で、優れた指導者が旅人たちをはるか遠くにある宝処へと導く「化城宝処の喩え」を根拠に立てられたものです。そして第三の教相「師弟の遠近不遠近の相」は第十六章『如来寿量品』で明かされた、釈尊と弟子との久遠の過去以来の関係性が根拠になっていますが、いずれも釈尊が衆生を導くための手立てについて明かされています。詳細ついては、のちの機会にお話しすることとしましょう。ところで「長者窮子の喩え」は、長者(父)が長年にわたり放蕩生活をしていた窮子(息子)を屋敷に誘い入れ、導き育てあげたのちに、親子であることを明かしすべての財産を譲与するという物語でした。あらためて拝読しますと、父の息子に対する満ち溢れんばかりの慈愛と、巧みな導き、あるいは地位や名誉に固執しない養育の姿に驚くと同時に、畏怖の念を懐かずにはおられません。窮子は五十余年もの長い間、父親を捨てて家出をし、放蕩生活を続けてきました。父親に捨てられたのではなく、自らが父親を捨てて家を出たのです。そして、父親のことはすっかり忘れてしまいました。そのような親不孝極まりない放蕩息子が、突然目の前に現れたのであれば、即座に確保し強引にでも屋敷に引き入れて、長年にわたる無責任で身勝手な所業に叱責を加え「今のありさまは当然の結果である」と断罪して罰則を科す、あるいは親子の縁を切り勘当しても良さそうに感じます。否、そうすべきである、とさえ思えます。 ところが長者は、勘当はおろか叱責することさえありませんでした。なんと窮子を巧みに屋敷に誘い入れて仕事を与えたのです。さらにそればかりか衣食住まで与えました。その後、長者である父親は、自分の素性を明かさずに、窮子と一緒に-106-   

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