『法華経』に学ぶ
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汚物掃除をしますが、装飾品を外し、上等な衣服を脱ぎ粗衣を身にまとい、身体を汚して窮子と同じ風体を装い汚物掃除にあたるのです。長者は人徳や人望を備え、人々から称賛され、さらには大富豪で社会的地位もあり、国王や大臣等と肩を並べるような人です。そのような高貴で高徳な長者が、まるで正反対の品性下劣で卑屈な窮子の本心を目覚めさせるために、窮子と同じ立場、同じ目線に立って汚物掃除に従事するのです。そこには、窮子との間に一線を引くとか、自分のプライドが許さない、あるいはプライドに傷がつくといったようなことは、まるで見受けられません。また、窮子を威圧することも、無理に仕事をさせることもありませんでした。長者が窮子を導くために取った行動は、自身の地位や名誉に固執することなく窮子を慈愛で包み込み、あくまでも同じ立場、同じ目線に立って導くということです。 私たちは、ともすれば他者に対して上意下達のように一方的に物事を教えたり、あるいは叱責したりすることがあります。このことは、親と子、教師と生徒、上司と部下、先輩と後輩など、いわゆる上下関係があるなかにおいては、ままあるように感じます。昨今毎日のように耳にする「パワハラ」などはこの最たるものでしょうか。て」とか「相手の気持ちになって」などとうそぶきながらも、それを生活の上に活かし実践することは、容たやす易いことではないでしょう。しかしこれが実践できなければ、本当の意味で人を育てる、あるいは、人を導くということは適わない、ということを「長者窮子の喩え」は教えているように感じます。常日頃、ほとんどの人が「相手の立場になっ   -107-

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