『法華経』に学ぶ
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 「長者窮子の喩え」は、釈尊が数多くの手立てを用いて弟子たちを一乗真実の教えに導いてこられたこと、そして広大深淵な慈愛を間断なく自分たちに注いでくださっていることを知った四大声聞が告白した物語です。そのことについて、日蓮聖人が身延山よりご信    者に宛てられたお手紙の一節を紹介しておきましょう。 「釈尊はお悟りをお開きになられてのち、すぐに法華経の説法をして本心をお話しするおつもりだったのです。ところが、仏弟子たちの機根(能力)があまりにも低く『これではたとえ法華経を説いたところで、私の本心は理解できないだろうし、また信じることもできないだろう。何より最上の教えを信じないがゆえに罪を犯し、悪道に堕ちてしまうことになる』このように判断された釈尊は、仏弟子たちを成長させ、法華経を受け入れられる能力に調えるために、四十二年という時間を費やし、仏弟子それぞれの能力に合わせた方便説法をさまざまに施してこられたのです。その巧みな教化の甲斐あって、仏弟子たちは機根が調い釈尊の真意を受け入れられるまでに成長しました。そこで釈尊はついに『今までの説法は方便説法であって、私の本意ではありません。ただいまから私の本意を明かします』と宣言され、法華経の説法をお始めになられ真実を説き明かされたのです。 すると舎利弗や目連をはじめとする大勢の仏弟子たちは一同に『釈尊の過去四十二年の説法では、仏の智慧を得ることができなかった(譬喩品)』と大いに嘆きました。そしてこのたび法華経の説法を拝聴できた喜びを『無上の宝物を求めずして得信解品第四⑥-108-

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