『法華経』に学ぶ
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ることができた(信解品)』また『昔から何度も何度も釈尊の説法を拝聴してきたけれども、未だかつてこのような素晴らしい教えを聞いたことはない(譬喩品)』と体を震わせ大いに喜び、そして讃歎の言葉を述べたのです。この言葉の意味するところは、法華経と以前の四十二年間に説かれた諸経(法華経以外の教え)では天地雲泥の差、隔絶の差があることを明かしたもので、また法華経を讃歎する言葉なのです」と解説してくださいます。さて「長者窮子の喩え」を語り終えた四大声聞     「長者である父親は、まさに釈尊です。私たちはたちはさらに言葉をつづけます。釈尊の子供です。釈尊は常に『あなた達は私の子供だ』とお説き下さいます。 私たちは、心身ともに三つの苦しみに悩まされつづけてきました。それは「苦苦」という世の中は嫌なことばかりだと感じる苦しみ。そして、自分にとって居心地の良い状態や境遇、あるいは好ましい、愛おしいものが壊れていくことによってもたらされる「壊え苦く」という苦しみ。さらには「行苦」という世の中の移り変わりを見て感じる三つの苦しみです。これら「三苦」によって、私たちはさまざまに苦悩しつづけてきたのです。それは、私たちには正しい智慧がありませんから、最果てもなく迷い悩みつづけてきましたし、また劣った智慧を求めてそれを得て満足していたからなのです。本日ただいま釈尊の説法を拝聴して、劣った教えや劣った智慧の束縛からすっかり解放されました。釈尊は、私たちが劣った教えに執着し、それを求めて満足していることをご存知でしたが、しばらくはそのままにされておられました。そこで釈尊は、私たちを悟りに導くために巧みな方便を用いて説法を施して下さいました。私たちはその方便説法を拝聴して、僅かばかりの悟りにもかかわ-109-

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