『法華経』に学ぶ
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らず、素晴らしい悟りを得られたと錯覚し大いに満足して、さらに進んで大乗を求めるという心を起こしませんでした。釈尊は、私たちが劣った教えを求めていることをご存じでしたから、私たちに応じた方便説法を施して下さったのです。ところが私たちは、そのような釈尊の御心や私たちを導くための手立てを知ることもなく、さらには、私たちが真に仏(釈尊)の子であることすら知らなかったのです。このたび私たちは知ることができました。それは、私たちは真に仏の子であること、そして、釈尊は少しも物惜しみされることなく平等に慈愛を注がれ、優れた智慧を駆使されて私たちを導いて下さることです。にもかかわらず、私たちは今日まで劣った教えのみを願っていたので、まるでそのことに気づかずにいたのです。もし私たちに大乗の教えを求める心があれば、釈尊は大乗の教えを説いて下さったことでしょう。本日の説法『法華経』で唯一無二の教え、一仏乗を説き示して下さいました。それはまさに、法王の所有する大きな宝が、求めてもいないにもかかわらず、私たちが自然に手にすることができたようなものです。私たちは仏の子が得るべきものをすべて手にすることができました。」このようにして四大声聞たちは、長者が窮子を養育する姿は、まさに釈尊が弟子を導かれるお姿であり、窮子の愚行そして成長する姿は、過去の自分たちの姿と符合することを述べました。さらには、釈尊の導きにより愚劣な思考から解き放たれたこと、真に仏の子であるという自覚を得たことに、この上ない喜びを感じ、そして自然と仏の智慧を頂戴できた喜びを告白したのです。 これら過去の反省と宝を自然に得られた喜びを告白したのちに、四大声聞を代表して摩訶迦葉が三百十六句、七十九偈というたいへん長い詩句に託し、重ねて釈尊に感謝の意を述べ、今まで述べ-110-    

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