『法華経』に学ぶ
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それは、日蓮聖人の誕生は『法華経』に約束(説示)されたもので、ご生涯を通し『法華経』を真実=事実のものとした、ということです。『法華経』が日蓮聖人を登場させ、日蓮聖人の行動が『法華経』を証明したのです。ゆえに「降誕」と称し慶讃するのです。『法華経』を離れて日蓮聖人の存在は無く、日蓮聖人の登場がなければ『法華経』は真実とはなりえなかった、ともいえるでしょう。ここに私たちは、各宗各派の開祖と日蓮聖人には、隔絶の差があることを知ることができます。このことにつきまして、日蓮聖人は「日にち蓮れんなくば此この一いち偈げの未み来らい記き妄もう語ごとなりぬ。」「日にち蓮れんなくば誰だれをか法ほ華け経きうのぎ行ょう者じゃとして仏ぶつ語ごをたすけん。」「斯し人にんす。じ上ょう行ぎょう菩ぼ薩さつの再さい誕たんの人ひとなるべしと覚おぼえたり。」等とご教示くださいました。またそれらは『法華経』の流れを見る中では、第十章『法ほっ師し品ほん』で問題が提起され、第十五章『じ従ゅう地じ涌ゆ出じゅっ品ぽん』でその資格が明らかになり、第二十一章『如にょ来らい神じん力りき品ほん』で結論を知ることができます。ところで、日蓮聖人の書簡、論文等を総称して『御ご遺い文ぶん』『御ご書しょ』『ごみ妙ょう判はん』等といいます。どの表現を用いてもよろしいと思いますが、「ご妙判」と称するときには「『法華経』を解説した書」との意味が、前面に押し出されてくるように思います。つまりそれは、日蓮聖人が解説された『法華経』あるいは、日蓮聖人が信仰、信解せられた『法華経』を知る書、ともいえると思うのです。それは、日蓮聖人を師匠と仰ぐ私たちが学ぶ、或いは信仰する『法華経』は、日蓮聖人が信仰せられた『法華経』であって、日蓮聖人が解説くださる『法華経』でなければならない、という姿勢なのです。 ところで「経典(お経)とは何ですか?」唐突に質問されると、一瞬戸惑ってしまいます。そこ ょ  行ぎょう世せ間けんの五いつつの文もん字じの中なかの人にんの文もん字じをば誰だれとか思おぼ食しめ-4-

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