『法華経』に学ぶ
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声じょうを文字と成なし給たう。仏の御心はこの文字に備そなわれり。には、様々な答えが想像されますが、端的に言えば「釈尊の説法の記録」と答えても、先ずは間違い無いかと思います。経典が釈尊の説法の記録であれば、経典読誦、いわゆる「お経を読む」という行為は「釈尊の説法を再現する仏事」とも考えられます。日蓮聖人は経典について 「法華経は釈迦如来の御おんここ志ろざしを書かきあ顕らわして、此この音おん中略法華経の文字を拝見せさせ給たもうは、し生ょう身しんの釈迦如来にあひ進まいらせたりとおぼしめすべし。」すなわち、経典として存在する『法華経』は、ょ  もゅょ 釈尊の御志、衆生救済という大慈悲心が、声=説法となって顕れ、そして、文字となったものであります。したがって、経文を拝するときは、人格化された「生身の釈尊」に面奉すると心得なさい、とご教示くださいます。 ここに、日蓮聖人の中には『法華経』は、人格化された「釈尊」である、との認識、或いは信仰があったことが確認できます。さて、経典編纂の歴史に目を向けますと、釈尊入滅後の間もない頃に、その教えを正しく後世に伝えるべく、五百人もの仏弟子が集まり、釈尊から拝聴した教えを互いに暗あん誦しうする仏事が行われた、という記録がみえます。これを「結けつ集じう」といいます。しかし、この結集で暗誦された内容が文字化され、経典として編纂されることは、ありませんでした。以降、おおよそ百年ごとに三回にわたり、結集が行われたと伝えられていますが、釈尊の説法が文字化され、経典として編纂された年代について、釈尊滅後二〇〇年から三〇〇年という説、或いは一世紀頃という説もあり、その成立年代が明確に断定できる資料は、現在のところ無いようです。 いずれにしても、編纂された経典は、インドから西さい域いき(中国の西、現在の新しん疆きうウイグル自治区近-5-

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