『法華経』に学ぶ
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と思われます。もちろん、そのような境地に安住できることは、三世にわたり常に釈尊とともにあり、その大慈悲に包まれている、という揺るぎのない信仰があったからにほかなりません。ところで、日蓮聖人の歩まれた時代は、天災が   題目「南無妙法蓮華経」を唱える信仰を勧められ続き疫病もたいへん流行しました。さらには内乱が起こり、蒙古襲来という危機に瀕した時代でもありました。そのような内憂外患の混迷を極めた社会にあって日蓮聖人は、『法華経』への帰依、おて、社会全体の安らぎを祈念なされたのです。つまり、この祈念の中に「現世安穏」という世界が成就し、「後生善処」という境遇も約束される、と日蓮聖人は受け止めておられたと考えられます。 さて釈尊は、迦葉に語り続けられます。 「ただ一人如来(釈尊)のみが、生きとし生けるものたちの種類や姿、そして性格などの本質を正確に見抜くことができるのです。また、その者たちが何を願い、何を思い、何を修行しているのか、そしていかなる教えをもとに修行して、いかなる功徳を得るのか、それを知り得ることができるのは、如来ただ一人なのです。」生きとし生けるものの資質を見極めて、それぞれに応じた教化を施し、真実の悟りへ導くことができるのは、釈尊ただお一人だということです。そのことについて先の『譬喩品』では「唯、我一人のみ能く救護をなす」と宣言なさいました。「如来は生きとし生けるものが、すべての苦しみ、迷いから解放される真実の教えはただ一つだと知ってはいます。ですが、それを即座に明かすことはありません。はじめは、あなた達の望みに応じた教えを説いて導くのです。迦葉よ、如来にはこのような巧みな導きがあることをあなたは知り、よく信じて受け入れることができました。」-123-

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