『法華経』に学ぶ
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釈尊は、迦葉が釈尊の説法が巧みであることを信受し、理解したことをお認めになられました。そして今まで説かれたことを二百十八句、五十四偈半の詩句をもってお話しなさいます。この詩句のなかでは「三草二木の喩え」に加えて、先の三章(『方便品』、『譬喩品』、『信解品』)で明かされた「開かい三さん顕けん一いつ」について再説されています。すなわちそれは、えには真実の教えと方便の教えがある。実の教えは即座に明かされることはなく、はじめは弟子の能力や求めに応じた説法=方便説法が施される。便説法ののちに、真実説法=『法華経』の説法がなされる。などということです。釈尊が繰り返し説かれるということは、それだけ重要でかつ肝心なことであると理解できますし、私たちを何としてでも救おうとされる大慈悲の表れだと頂戴できます。釈尊は迦葉の理解に、誤りがないことをさぞお喜びになられたでしょうし、迦葉をはじめとする、須菩提、迦旃延、目犍連、いわゆる四大声聞と称される仏弟子たちも、歓喜踊躍し最高の礼法を捧げて述べた理解の正しさを認められ、安堵し一段と歓喜していたことでしょう。釈尊と四人の仏弟子が対話する姿、また、これらの様子を見守る大勢の仏弟子たちが、歓喜に湧く姿が目に浮かびます。 ところで以前に『方便品』の「聞法歓喜讃乃至発一言」すなわち、法(教え)を聞いて歓喜したならば、一言でもそのことについて発言したくなる、ということを学びました。迦葉をはじめとする四大声聞と呼ばれる仏弟子たちは、歓喜に溢れ    薬草喩品第五④・ 真・ 教・ 方-124-

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