『法華経』に学ぶ
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達だる磨ま笈ぎゅう多た共訳辺)を経て、一世紀頃には中国にもたらされます。自明のことながら、その経典はサンスクリット語(古代インドの言語)で記録されていましたから、漢語(中国の言語)に翻訳=漢訳する作業が、大勢の僧侶(訳経僧)によって、国家事業として長年にわたり行われました。さて『妙法蓮華経』は、サンスクリット語でょ  『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』と称します。中国に伝来以降五〇〇年ほどの間に、部分訳を除けば、全体訳として六本漢訳されましたが、現存するのは三本で、三本は現存しません。これを「六ろく訳やく三さん存そん三さん欠けつ(没)」といいます。① 『し正ょう法華経』十巻二十七品 竺じく法ほう護ご訳② 『妙法蓮華経』七巻二十七品 鳩く摩ま羅ら什じゅう訳③ 『添てん品ぽん妙法蓮華経』七巻二十七品 闍じゃ那な崛くっ多た・ 私たちが日ごろ『法華経』と称している経典は、鳩摩羅什(三五〇―四〇九年頃)が四〇六年に漢訳した『妙法蓮華経』です。これを略して『法華経』と称しています。漢訳された当時は、七巻二十七品でしたが、後に、八巻二十八品として流布するようになりました。鳩摩羅什は、西さい域いき亀き茲じ国こく生まれの僧侶で、中国に入って以来、三百巻ともいわれる多くの経典や、典籍等を漢訳しました。またそれらは、総じて名訳と評されています。なかでも晩年に、二千人もの門下を集め訳したと伝えられる『妙法蓮華経』は、単に漢訳を施すというだけでなく、字句の用い方や、読みやすさ、いわゆる音韻等からも、名訳中の名訳と称賛されています。 さて、その名訳について「舌ぜっ根こん不ふ焼しう」という逸話があります。遺言により荼だ毘び(火葬)に付された鳩摩羅什の遺体は「舌だけは焼け残り、そればかりか、五色に光輝いていた。」というのです。-6-

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