『法華経』に学ぶ
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四大声聞と称せられる迦か葉しう、須しゅ菩ぼ提だい、迦か旃せん延ねん、たのは『信解品』で「長者窮子の喩え」を告白したのち、重ねて詩句を述べた迦葉でした。すでに学んだとおり迦葉は、摩訶迦葉、あるいは大迦葉とも称せられ、それは「優れている、偉大な」といった意味があり、釈尊の弟子となったのは、釈尊がお悟りを開かれた後の三年目頃と伝えられています。迦葉は衣食住にたいする執着が無く、質素倹約であったことから頭陀第一、さらには清貧な修行を続けたところから浄行第一とも称せられました。釈尊ご入滅後には、リーダーとして教団を統率し、その教えを経(教)典として編纂する第一回目の結けつ集じう(第一結集)の座長も務めました。この結集は、釈尊の説法を正しく後世に伝えるため五百人の男性出家者(比丘)が王舎城に集まり、釈尊から拝聴した教えを互いに述べたことから五百結集とも呼ばれます。その後、第二回目の結集は百年後に開催され、以降は二回開催されたとも四回開催されたともいわれていますが、これらの結集があったればこそ釈尊の教説が文字として、すなわち経典として今日まで残され伝承されているのです。ところで迦葉は、先に記別を受けた智慧第一とゅ    ょ称せられる舎利弗とともに「釈尊十大弟子」と伝えられる中に名前を見ることができます。迦葉の後に同章『授記品』で記別を受ける、須菩提や迦旃延そして目犍連、さらには、後の章で記別を受ける富ふ楼る那なや阿難たちも、その中に名前を連ねています。参考までに十大弟子の名前と、特筆すべき秀でた能力とを列挙すると・舎利弗智慧第一授記品第六②-132- 目もっ犍けん連れん。この四人の中で、最初に記別を授けられ

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