『法華経』に学ぶ
149/188

すでに学んだとおり三周説法は、それぞれに「正説段」といわれる釈尊の説法があり、それを拝聴した仏弟子が理解を述べる「領解段」へと展開し、釈尊が仏弟子の理解を証明する「述成段」へ、そして締めくくりとして、仏弟子へ成仏の保証、認可を与える「授記段」の四つの類型で構成されています。ところが、因縁説周では『化城喩品』が正説段に配当されてはいるものの、領解段、述成段、授記段は独立して配当されていません。天台大師は「後の両品は授記す」とされていますから、第八章『五百弟子受記品』と第九章『授学無学人記品』は経題が示すとおり授記段であると確認できます。 さて、そうすると領解段と述成段の二段が無いことになります。そのことを天台大師に訊ねてみますと「領解・述成は、みな授記の中にあり。何となれば、もし領解せずんば、なんぞ授記・述成することを得ん、故に二意を兼ね得たり」と解説、指南下さるところです。つまり、仏弟子の領解が無ければ、釈尊からの述成や授記があろうはずがなく、授記の中、すなわち『五百弟子受記品』と『授学無学人記品』におのずから、領解と述成が含まれているということなのです。たしかに、法説周や譬喩説周では明確に「領解→述成→授記」の順序で展開していますが、この二章ではその順序は定まってはいません。さらには、仏弟子の言葉で領解は語られていません。これについては「黙然」、つまり沈黙して頷くことを領解と解釈しているのです。例えば、のちの第十二章『提婆達多品』では、八歳の龍女が成仏する姿を見た一会の大衆が「黙もく然ねん信しん受じゅ」したともあります。 ところで、因縁説周では「宿世の因縁」が説かれますが「宿世」とは、今世に生を享ける以前の世、つまり、前世、過去世のことをいい「因縁」とは、切り離すことのできない関り、結びつきを-141-   

元のページ  ../index.html#149

このブックを見る