『法華経』に学ぶ
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劫ごうという計り知れない過去に、大通智勝仏が成道いいます。つまり、釈尊と仏弟子、ひいては私たちと釈尊、そして『法華経』との間には、過去世から続く切り離すことのできない関係、結びつきがあることが明らかにされるのです。そうすると経題は『宿世品』もしくは『因縁品』などが妥当だと思われますが『妙法蓮華経』では『化城喩品』と名付けられています。 『化城喩品』は『法華経』のなかで『譬喩品』に次いで長い章(お経)ですが、前半では三さん千ぜん塵じん点でんしたこと、そして教化のようすや因縁などが明かされます。後半に移りますと法華七喩の四番目にあたる「化城宝処の喩え」が説かれ、仏の教化、そして導きには「始・中・終」があり、それは終始一貫しており、今日もなお変わらないことが明かされます。 つまり『妙法蓮華経』では、宿世の因縁を明かすことよりも、「化城宝処の喩え」で明かされた釈尊の変わらない教化次第を明かすことに重要性があるとみて『化城喩品』と名付けられたのです。それでは、経文を訊ねてまいりましょう。「仏弟子たちよ、想像すらできないほどのその昔に、大通智勝如来という仏がいました。その国を好成といい、その時代は大相といいます。この仏がお亡くなりになられたのは、はるか遠い昔のことです。喩えていうならば、三千大千世界というこの大宇宙を、ことごとくすりつぶして墨としたとしましょう。そして東方に向かって進み、千の国を過ぎたあたりで一つの点(印)をつけます。その点の大きさはわずかで、微塵ほどにも過ぎない小さなものです。そして、またさらに千の国を過ぎて一点をつけるとしましょう。このようにしてこれを繰り返していき、やがて墨を使いつくしたとしましょう。 わが弟子たちよ、これをどのように考えますか。-142-   

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