『法華経』に学ぶ
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青天の霹靂と申しましょうか、寝耳に水と申し  結 言として進まず、三十六回でようやく第七章「化城ましょうか、誌面刷新のため、あと三回でこのコーナーを終えるよう告げられました。この連載も遅々喩品」に入ったばかりです。残された三回で、第二十八章「普ふ賢げん菩ぼ薩さつ勧かん發ぼっ品ぽん」まで書き終えることは不可能で、中途で終わることを余儀なくされ、心苦しく残念に思いますが、読者の皆様におかれましては、何卒ご寛かん恕じょ下さいますようお願い申し上げます。 ところで、わたしが執筆するにあたり心がけていたことは、学問的根拠をもとに『法華経』をできるだけ平易に物語として伝えること、さらに、日蓮聖人が信仰された『法華経』、『法華経』に説かれた日蓮聖人を伝えることでした。中途で終わることを知りながら、それら肝心なことを伝えられずに終えてしまうことは、不本意で何とも不甲斐ない、やりきれない思いですから、残された三回では「法華経と日蓮聖人」についてお話をさせていただきたいと存じます。さて、釈尊の説法の目的は「すべての人を成仏させる」「すべての人を自分と同じき境ょう界がいに導き入れる」ということです。すでに学んだとおり、第三章『譬喩品』の前半で舎利弗が成仏を認められ、第六章『授記品』では、迦葉、須菩提、迦旃延、目犍連の四人が成仏の保証を授けられました。そして第九章『授学無学人記品』に至り、すべての仏弟子たちの成仏が明かされ「釈尊は、智慧の光をもって私たちをお導き下さいます。いま成仏の保証を頂戴した私たちの心は、歓喜で満ち溢れて-144-

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