『法華経』に学ぶ
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き明かしましょう」と口をお開きになられました。 「あなたたちは私が十九歳で城を去って出家し、三十歳で菩提樹の下で悟りを開いたと認識していることでしょう。ところがそうではありません。本来の私は、あなたたちが想像することさえできない、五百億塵点劫という遥かな昔にすでに悟りを開き、以来途切れることなくこの世に在って、生きとし生けるものを教化しているのです。それは今も変わりませんし、これからも永遠に続くのです」ここに歴史上の釈尊を媒介として、五百億塵点劫という想像すらできない過去に悟りを開き、常に教化活動をしている仏の存在、すなわち経題が示す「如来の寿命が無量」であることが明かされたのです。仏の永遠不滅とその教化を喩えたのが後半に展開される「良ろう医い治じ子しの喩え」で、それは釈尊を良医に、衆生を子供に、そして良薬を『法華経』に喩えた物語です。解説を加えながら少し訊ねてみましょう。子供たちが誤って毒薬を飲んで苦しんでいると  れたことを意味するのです。この良薬=『法華経』ころに、良医である父親が帰ってきました。これはインドに釈尊がお生まれになられたことを意味します。父親が帰宅したときには、すでに子供たちは毒薬を飲んで、すなわち釈尊以外の教えを信奉し苦しんでいたのです。そこで良医は薬を調合し、子供たちに与えます。これは釈尊が『法華経』を説いて苦しみや迷いの世界から衆生を導き出さを服用=信受した子供たちは、毒の病から解放されました。 一方、毒が深く入り込んで本心(正気)を失い、正常な判断ができなくなった子供たちは、その良薬=『法華経』を「不味い」「良くないものだ」と拒絶し服用しません。実はこの良薬を拒んだ子供たちが私たちの姿なのです。この子供たちに薬を-151-

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