『法華経』に学ぶ
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宝塔も扉を閉じました。そして説法の舞台は、虚空より再び霊鷲山へと戻るのです。ところで日蓮聖人は『如来神力品』の委嘱について「久遠の仏が、久遠の法=南無妙法蓮華経を久遠の弟子に委嘱したのです」と解釈なされ、さらには、釈尊滅後の末法と称せられる時代に、久遠の仏の使者として派遣される久遠の弟子=上行菩薩は、ご自身であるという自覚を持たれました。日蓮聖人のご生涯を訊ねますと、末法のはじめにお生まれになられ、十六歳でご出家、三十二歳で立教開宗、すなわち『法華経』を弘め、正しい信仰のあり方を示す宣言をなさいました。これ以降、日蓮聖人は「大難四か度、小難数知れず」というご生涯を送られるのです。罵詈雑言を浴びせられるなど数多くの小難も、松葉谷法難、伊豆法難、小松原法難、龍口・佐渡法難、いわゆる四大法難と称せられる法難もすべて『法華経』、つぶさには 000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000 第十三章『勧持品』に予言されたものでした。ですから日蓮聖人にとって法難は『法華経』が真実である証明であると同時に、永遠不滅の仏が実在し、常に教化活動をされていること、さらにはご自身が『法華経』に説かれた仏の使者=上行菩薩である証明につながることだったのです。すなわち『法華経』に説かれた予言が、歴史的事実として証明されたのです。故に「日蓮がいなければ、誰が『法華経』を真実の教えであると証明できたであろうか」と自負を述べられるのです。私たちにとって日蓮聖人を離れて『法華経』は0なく、『法華経』を離れて日蓮聖人はない、ということ。さらには『法華経』を証明し、『法華経』に証明された釈尊の使者であることを再認識し「日蓮聖人ご降誕八百年」を慶讃したいものです。-155-

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