『法華経』に学ぶ
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病尽除愈今此三界其中衆生我亦為世父地涌千界は、教主釈尊の初発心の弟子なり。寂滅道場にも来らず。双林の最後にも訪わず、不幸の失これあり。迹門十四品にも来らず、本門の六品には座を立ち、ただ八品の間に来還せり。かくのごとき高貴の大菩薩、三仏に約足してこれを受持す。末法の初に出でざるべきか。皆是我有悉是吾子救諸苦患者自惟孤露常懐悲感心遂醒悟即取服之無復恃怙乃知此薬毒病皆愈未来益物於如来滅後知仏所説経随義如実説「五義」人 如日月光明能除諸幽冥斯人行世間能滅衆生闇父 良医如来秘密神通之力我実成仏已来無量無辺百千万億那由佗劫已前の明鏡を以て仏意を推知するに、仏の出世は正像末の人の為なり。また正像二千年の人のため「然於病者」と云うは、滅後の法華経誹謗の者を指「今留在此」とはこの好き色・香ある味においてし・唯我一人人・能説の仏釈 尊我本行菩薩道 所成寿此子可愍 毎自作是念この時地涌の菩薩、ただ妙法蓮華経の五字・唯以一大色不香失倶心好者即見便此服良之薬子・治子末法為正・能遣の師匠・本門の教主・所遣の弟子・法華経の行者付 嘱折伏・下種日蓮聖人教主釈尊より大事なる行者・行証の聖者・教証の聖者遣因使縁還及告次第弟子・檀那色遠香喪味佗国美師匠衆 

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