『法華経』に学ぶ
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「し正ょう直じき捨しゃ方ほう便べん甚じん深じん無む量りう(舎利弗に告げたまわく、諸仏の智慧は甚深 ょ  三さん」と、真実というものはただ一つあるのみで、の教えを説いて、仏弟子たちを教化し、このたび本意である『法華経』を説く時機を得た」とあります。要約すれば、四十余年の「随他意・方便説法」は『法華経』を説く準備であった、ということなのです。釈尊の本意である『法華経』は「随自意」といいます。「自」とは釈尊を指しますから、釈尊ご自身の「意」に随って説かれた教え、ということです。さて『方便品』は「告ごう舎しゃ利り弗ほつ 無量なり)」と釈尊自らが、智慧第一と評された舎利弗に語りだされ、説法が始まることが確認できます。この説法形式を「無む問もん自じ説せつ(問い無きに、自ら説く)」といいます。 『方便品』の後半には「唯ゆい有う一いち乗じょう法ほう二つも三つも存在するものでは無い。したがって諸しょ仏ぶっ智ち慧え て、ただ無上道を説く)」すなわち、三十歳成道以来、四十余年の説法は、ことごとく「方便の教え」であるから捨てる。そして只今より「無上道」=「真実」=『法華経』を説く、とあります。これを「開かい権ごん顕けん実じつ」方便の教えを開いて、真実の教えを顕す。或いは「開かい三さん顕けん一いち」全ての説法(教え)を『法華経』に統一する。または、すべての人々の成仏を明かすところから「二に乗じょう作さ仏ぶつ」ともいいます。『法華経』の前半部「し迹ゃく門もん」では、これらのことがテーマとなります。釈尊は、これを理解させるべく、仏弟子の能力(じ上ょう根こん・ち中ゅう根こん・下げ根こん)に合わせて、三種類の説法方法を用いられます。これを「三さん周しゅう説せっ法ぽう」といいます。「周」とは「めぐる、 無む二に亦やく無むあまねし」という意味ですから、すべての人々を真実に導き入れるための説法方法といえます。 すなわち『方便品』では、釈尊の真意を上根の但たん説ぜつ無む上じょう道どう(正直に方便を捨て-11-

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