『法華経』に学ぶ
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四し衆しゅう囲い繞にう(その時に世尊、四衆に囲繞せられ)」全二十八章からなる『法華経』の第一章は『序品』で「序」とは「糸口、発端、はじめ」という意味です。「品」とは「章」または「説」という意味ですから『法華経』全体の端緒、序章、序説に位置します。天台大師は『序品』を二つに分けて解釈をしています。すなわち冒頭の「如にょ是ぜ我が聞もん(是の如きを我れ聞きき・是の如く我れ聞きき)」から中途の「各かく礼らい仏ぶっ足そく 退たい座ざ一いち面めん(お各のおの、仏足を礼し退いて一面に座しぬ)」までを「通つう序じょ」といい「爾時世尊 から章末の「り令ょう盡じん無む有ゆう余よ(盡して余りあること無からしめたまわん)」までを「別べつ序じょ」と称します。「通序」では「人・法・時・所・伴(誰が、何を、いつ、どこで、誰に)」ということが明かされています。これは『法華経』に限らず他の経典にも共通してみられるものですから「通序」といい、これを「き経ょう首しゅの五事」ともいいます。「別序」とは『法華経』だけに見られる特別な序章ですから、重要な事柄が説かれていると理解できます。別序では、まず説法の会え座ざ(場所)の情景が明かされ、次にその会座に起こる不思議な瑞相(現象)が現れることが説かれます。さて経典編纂の歴史につきましては、釈尊が亡くなった後に仏弟子たちが説法内容を暗誦し、経典として成立したことは既に述べましたが、はじめの「如是我聞」という文はそれを意味します。 日蓮聖人はそのことについて「千人の阿羅漢、仏の事を思ひいでて涙をながし、ながしながら文殊師利菩薩は妙法蓮華経と唱へさせ給へば、千人序品第一①-20-   ょ  

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