『法華経』に学ぶ
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次に説法の会座ですが「仏、王舎城・耆ぎ闍しゃ崛くっ山せんの中に住したまい」とあります。仏とはもちろん釈尊のことです。古代インドのマガダ国の首都である王舎城(現在の北インド、ラージギル)の耆闍崛山で説法がなされたことがわかります。耆闍崛山は、サンスクリット語でグリドラ・クータといいますが、グリドラとは、ハゲワシのことです。この山の頂が、天空に斜めに突き出し、更に山頂部分が平らになっているのです。つまりそれが、ハゲワシの頭に似ているのでグリドラ・クータ=耆闍崛山と名づけられたと言われています。耆闍崛山は、り霊ょう鷲じゅ山せん、り霊ょう山ぜん、鷲のみ山とも称されます。 さて、この霊鷲山での説法は第十章『法師品』まで続きます。第十一章『見宝塔品』から第二十二章『嘱ぞく累るい品ほん』までは会座が虚空に移ります。そして次の第二十三章『薬王菩薩本事品』から再び会座は霊鷲山へ戻り第二十八章の『普ふ賢げん菩ぼ薩さつ勧かん発ぼっ経文に見える仏弟子に語りかけられた釈尊の言葉は、自身にかけられた言葉であると認識できたときに、信仰の琴線に触れて『法華経』に学ぶことができるのでしょう。すなわちそれは、平成に生きるわたしたちが、時空を超えて霊鷲山に詣でて、釈尊の説法を拝聴していると実感することです。日蓮聖人が弟子、檀信徒に与えられた書状もまた同じです。八百年という時を経て「わたしに宛てられたものだ」と実感し拝読することが不可欠です。さて『法華経』は釈尊が七十二歳より八年をかけて説法されたものですが、経文には「一時=ある時」とあるのみで、その具体的な年時については記されていません。これは『法華経』に限らず全ての経典に通じていえることで、説法された特定の時期を指すことはありません(『大般涅槃経』は、釈尊入滅時に説かれたものですから「一時」と説かれていれば入滅の時を指します)。-22-    

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