『法華経』に学ぶ
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 『方便品』は、日常の勤ごん行ぎうの際には必ずと言っていいほど読まれるお経ですから、皆さま方には、なじみの深いことと思われます。普段は冒頭から「所謂諸法竟等」までしか拝読しませんが、実は『方便品』はとても長いお経です。「本末究竟等」で終える理由は様々考えられると思いますが、その一つを挙げれば、この箇所までに『方便品』の主たる内容が略説されているからです。以降には、その主たる内容が詳説されています。ちなみに、後半部分には『欲令衆』として拝読する「諸仏世尊は衆生をして仏知見を開かしめ」という経文に接することができます。 さて『方便品』という題号に注目しますと「嘘如是相本末究    ょも方便」という言葉が想起されると思います。この場合に用いる方便とは、複雑な人間関係の中で生きていく上には、あるいは、目的達成の為には一つの手段、方法として時には嘘も必要だ、との意味があると思います。つまり方便とは、真実とは対極に位置する言葉となります。そうすると、目的と手段、方法とは別の要素であると理解できます。しかし『方便品』でいうところの方便は釈尊をはじめとする諸仏が、人々を教え導くために用いる良き手立て、巧みな手段という意味で、それは真実と離れて存在するものでは無く、真実と一体となったものが方便なのです。つまり、釈尊の素晴らしい智慧と、人々を救済したいという慈悲とが渾然一体となったものが、方便ともいえるでしょう。そうすると『方便品』の主とする内容は、人々を導くべく釈尊をはじめとする諸仏が、いかに巧みな方法を用い、また良き手立てを講じて、人々方便品第二①-28-

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