『法華経』に学ぶ
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聞もん・縁えん覚がくという二乗は成仏できない。善人は成仏を導くことを明かしているといえます。ところで『方便品』は『法華経』の前半十四章の中心です。そこには『法華経』の二大テーマの一つである「二に乗じょう作さ仏ぶつ」=全ての人の成仏を明かしているからです。そのことについては既に述べましたが、換言すれば、成仏は『法華経』に限り『法華経』以外の教えでは、成仏は適わないということです。そのことについて中国の学匠、天台大師智ち顗ぎは「法華経以外の教えは、菩薩は成仏できるが、し声ょうできるが、悪人は成仏できない。男性は成仏できるが、女性は成仏できない。人天は成仏できるが、畜生は成仏できない。『法華経』のみが、すべての人に成仏の保証を与える」と解説しています。 釈尊は『方便品』で明かした「二乗作仏」=全ての人が成仏できるということについて、第九章の『授じゅ学がく無む学がく人にん記き品ほん』に至るまで「三周説法」と迦か旃せん延ねん、迦か葉しう、目連という仏弟子たちはみな声いう、仏弟子の能力に合わせた巧みな説法をもって、すべての仏弟子を導き入れる説法をなさるのです。さて『方便品』の対告衆(説法の相手)の舎利  ょ みに囚われて他者を顧みることがなく、社会との弗をはじめとする『法華経』に登場する、須しゅ菩ぼ提だい、当然悟りを求めて修行をしますが、自己の修行の関係を拒み極めて利己的であり、また独善主義でもあるのです。ゆえに『法華経』以外の経典では、炒った種が発芽しないように、あるいは、割れた石が元の形に戻らないように、二乗もまた成仏することはできない、と叱責されてきたのです。 また、仏弟子として師匠である釈尊を敬慕しますが、釈尊と自身の間に越え難い一線を引き「仏になることはできない」とあきらめ、一方では世俗の人々との間にも一線を引き、世間と隔絶する聞・縁覚という二乗とよばれる仏弟子たちです。-29-

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