『法華経』に学ぶ
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読しますが『法華経』を一つの物語として理解し、そして情景を思い描くには、訓読みをお勧めいたします。先の『方便品』の冒頭を訓読みすれば「その時に世尊、三昧より安詳として起って、舎利弗に告げたまわく、諸仏の智慧は甚深無量なり。其の智慧の門は難解難入なり。一切の声聞・辟支仏の知ること能あたわざる所なり」となりますが、真読で読むよりも、はるかに理解しやすく情景も想像できるのではないでしょうか。 「その時」とは、序品の舞台で禅定三昧に入っておられる釈尊が、眉間から光を放ち、仏弟子たちが合掌し説法を待っている「その時」です。釈尊は、禅定三昧より安らかに、そして厳おごそかにお立ちになり、大勢いる仏弟子の中でも智慧第一との誉れの高い舎利弗に語りだされました。名前を呼ばれた舎利弗の気持ちは、いかほどでしたでしょうか。大勢いる弟子の中で名指しされた喜び、はたまた、一言一句聞き漏らすまいという、大いなる而に説せつ(答)」という形式で説法が始まります。とこ緊張もあったことでしょう。満座の仏弟子たちもまた、舎利弗と同じく、釈尊の発声を喜び、緊張の面持ちであったことは想像に難くありません。釈尊は、舎利弗に告げられます。「舎利弗よ、数多くの仏が悟った智慧は、甚だ深く量り知ることはできません。また、その智慧の門は、難解で理解しがたく、声聞や辟支仏(縁覚)といわれる、自身の悟りを目指すだけの人たちには、到底理解できないものなのです」と。これが『法華経』における釈尊の第一声なのです。経典の多くは、弟子の問いかけがあり、釈尊がお答えになられるという問答体、いわゆる「随ずい問もんろがこの『方便品』は、釈尊みずからが説法を始められます。これを「無む問もん自じ説せつ」といい『法華経』の特色の一つであり、注意が必要とされるところです。-31-  

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