『法華経』に学ぶ
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無む問もん自じ説せつという形式で、弟子の問いかけが無いにもかかわらず、釈尊みずからが説法を開始された『方便品』。舎利弗に語りだされた第一声は「数多くの仏が悟った智慧は、声聞やひ辟ゃく支し仏ぶつ(縁覚)=二乗といわれるあなた達には到底理解できない」という言葉でした。    この言葉に接した仏弟子の気持ちは、いかほどでしたでしょうか。先の序品で文殊師利菩薩の「釈尊がこれから語り下さる教えは、道を求める私たちの心を充足させることでありましょう」という言葉を聞き、聴衆一同はその言葉に大いに喜び、説法の始まりを期待に胸を膨らませ、合掌して一心に待っていたのです。そこに「あなた達には難解で理解できない」という釈尊のお言葉です。あまりに衝撃的な言葉ですから、大いに落胆し悲嘆に暮れる仏弟子もあれば、さらに釈尊に付き従い精進し、何としてでも教導を願おうと奮起する仏弟子の姿もあったことでしょう。中には、既に四十二年の説法を聞いて「この上に何をいまさら」と傲慢な仏弟子もいたことでしょう。この傲慢で思いあがった仏弟子は、説法の途中に会座から退席しますが、そのことについては後に触れることとしましょう。さて釈尊は、智慧第一と誉れの高い舎利弗に語り出されながら、なぜ「理解できない」と突き放されたのでしょうか。仮に釈尊が「私を始めとする多くの仏が悟った智慧は、甚だ深く理解しがたいものであります。しかしながら、あなた達の弛たゆまぬ精進と努力によっては、悟りの世界に到達することが可能です」と説示下されば「承知致しました。精進努力いたします」となるのでしょうが「理解できない」と言われれば、それこそ「身も蓋方便品第二②-32-

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