『法華経』に学ぶ
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法実相という、森羅万象の真実の相すがたを究きわめ尽くしているのです。その真実の相すがたというのは一、如是相すがた、かたち。外に現れた相二、如是性性質、性格。内なる性質三、如是体相、性を合わせた全体四、如是力潜在的な能力五、如是作発揮された能力六、如是因生滅変化する直接原因七、如是縁生滅変化する間接的原因八、如是果因と縁によって生じた結果九、如是報結果が具体的に現れること十、如是本末究竟等はじめの相から、末の報までが関係性を持ち一貫しているということなのです」 冒頭の呼び掛けから、わずかな間に実に五度も「舎利弗よ、舎利弗よ」と語り掛けられた釈尊。威厳に満ちた偉大なる師匠釈尊が、愛弟子舎利弗に語り掛けられている姿が目に浮かびます。いま拝読した箇所を見る限りでは、舎利弗や二乗といわれる人たちが、釈尊を始めとする数多くの仏の智慧と悟りの世界を理解できない理由について、真正面から明かされることは無かったように思えます。明らかになったのは、釈尊は私たちの常識を超えた想像を絶する間、師となる仏のもとで修行をし、精進に精進を重ねて真理・智慧を会得したということ。そして、その智慧をもってさまざまに人々を教化し続けてきた偉大な存在であるということです。実はこれが、釈尊を始めとする数多くの仏の智慧と悟りの世界を、舎利弗や二乗といわれる仏弟子たちが理解できない理由の一つなのです。智慧第一といわれる舎利弗ですら遙か遠く及ばないと示すことによって、舎利弗の自我に執着する殻を破り、今まで以上に真摯に釈尊の言葉に耳を傾けさせようとする計らいなのです。-35-           

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