『法華経』に学ぶ
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諂へつらい、言葉たくみに愚かな人の心に親しみ、善き逆に「師」を見誤れば、正道から外れ悪道に導かれてしまいます。そのことについて日蓮大聖人は『涅槃経』の文を引用なされ「悪あく象ぞうに対しては、何も恐れを抱くことはありません。しかしながら、悪知識(悪師・悪友)に対しては警戒し、注意を払わなければなりません。悪象は凶暴で人の身体を傷つけたりしますが、心までも破壊することはありませんし、またそうすることもできません。ところが、悪知識は身体も心も破壊するので大いに注意をする必要があります。たとえ悪象に殺されても地獄・餓鬼・畜生という三悪道に堕ちることはありませんが、悪知識という悪師、悪友に交われば必ず三悪道に堕ちてしまいます。またこの悪知識は、甘い言葉をもって語らい、い詐つわって媚こび心を破るから気を付けなさい」と注意を促しておられます。 さてすでに、皆さま方には馴染みの深いと思われる前段部分の現代語訳を記しましたが、もう一度「諸法実相」そして「十如是」について解説したいと思います。釈尊は、仏の智慧と悟りの世界について、これ以上説くのは止めましょう、なぜならその内容は「唯仏与仏る世界なのです)」と舎利弗に告げられながらも、その悟りの内容は「諸法実相」である、と明かされたのでした。「諸法」とは、森羅万象・環境・存在等と理解しても差し支えないでしょう。さらに大胆に言い切ってしまえば、私たちが織り成す日常生活を「諸法」と解釈してもいいかもしれません。「実相」とは真実の相(姿)という意味で、「諸法」は「十如是」という十の法則・条件で存在し、活動しているというのです。つまり諸法実相とは、一言でいえば「存在と活動の法則」「存在と活動の真理」とも表現できるでしょう。「相・性・体・力」十のす    乃ない能のう究くう盡じん(ただ仏と仏のみが、知り得-37-

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