『法華経』に学ぶ
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究きわめ尽くした智慧」がどれほど素晴らしく、またべてに「如是」とついていますが「変わらない」とか「いつでも」といった意味があります。釈尊はこの「諸法」の中に「実相」を見たので   洞察力もなかったならば、万有引力は発見されるす。ニュートンは伝えるところによりますと、木から落ちるリンゴの姿を見て「あらゆる物質の間には、互いに引き合う力が存在する」と万有引力の法則を発見したといいます。たとえばこの場合、木から落ちるリンゴが「諸法」で、互いに引き合う力・万有引力が「実相」といえます。たとえリンゴが落ちる様子を見ても、何の思考も働かせずことはなかったでしょう。このニュートンの発見が物理学の世界に寄与したものは多大で、更には人類に数多くの恩恵を与えたのです。万有引力の発見ですらそうですから、釈尊が「諸法の実相を大切であるか計り知れなく、筆舌に尽くしがたいものがあります。さて、わたし(村尾)という存在は「諸法」のひとつです。皆さまが手にしている『みのぶ』誌も「諸法」のひとつです。わたしの身長や体形、顔立ち等、つまり外見が「如是相」ということです。外には見えませんが、短気であるとか、温厚であるとか、几帳面であるとかいろいろな性格・性分があります。これを「如是性」といいます。この外見の如是相と内面の如是性を合わせたものが「如是体」つまり、わたしの全体・存在ということです。わたしには、こうして文章を書く力や、話す力、あるいは走る、ボールを投げる等さまざまな力があります。これを「如是力」といいます。この力、もっている力が外に向かって発揮されること、作用することを「如是作」といいます。たとえばこうして実際に原稿を書いていることが「如是作」にあたります。 そして、この外に作用した力、原稿を書くこと-38-

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