『法華経』に学ぶ
48/188

文ぶ ん(詩句)いわゆる四字、五字、七字等で調えらありとあらゆる存在と現象(諸法)と、その真   れた「偈げ頌じゅ」で構成されている章がいくつかあり実の相と活動の法則(実相)は、釈尊の広大深遠なる智慧によって悟られた世界でした。この世界は「智慧第一の舎利弗でさえ知ることはできません」と明かされた釈尊は、これまでに語られたことを詩句に託し、重ねて舎利弗に教えられます。ところで経文は、散文で書かれた「じ長ょう行ごう」と韻いんます。『方便品』は「長行」と「偈頌」で構成されています。また、日蓮聖人が「法華経二十八章の魂、諸仏の命」といわれ最重要視なされた、第十六章『如来寿量品』も散文と韻文で構成されています。韻文で調えられた「自我得仏来」ではじまる偈頌を、わたしたちは『自我偈』あるいは『久遠偈』と称しています(正確には、如来寿量品偈)。その偈頌に入る前、すなわち長行の末文には必ず「重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言のたまわく」とあります。「重ねて」ですから「もう一度」ということで「此の義」とは長行で説かれた部分を指しますから、長行で大切なことが説かれた箇所について「念のため理解しやすいように、詩句に託してもう一度要点を言いましょう」ということです。つまりそこには、長行で説かれた重要なことがらが再説されているということですから、ことのほか注意が必要とされます。それでは、釈尊が舎利弗に語られた偈頌のお言葉を訊ねていきましょう。 「あなた達には、わたしを始めとする仏の偉大性、尊厳性そして智慧や慈悲に基づき、さまざまな教えを説きあなた達を導いてきたことについて知ることはできません。また、わたしが悟ったと方便品第二④-40-

元のページ  ../index.html#48

このブックを見る