『法華経』に学ぶ
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広大無辺な教えを体得しているのです。それは私一人だけではありません、数多くいる仏もわたしと同じく、広大深遠そして広大無辺な教えを体得しているのです。舎利弗よ、よく聞きなさい。数多くおられる仏の言葉はみな同じで、導く方法・手順も同じです。それぞれの仏が、異なる言葉をもって異なる導きをすることはありません。ですからあなたたちは、仏の説く教えを二心なく聞いて、大いに信仰の力を発揮しなければならないのです。わたしは数多くの教えを説いたのちに、必ず真実の教えを説きます。自身の悟りと救いのみを求めるし声ょう聞もんたち、そして師匠無くして悟りを求める辟支仏たちよ、あなた達が苦しみの世界から解き放たれ、悟りを得ることができたのは、わたしが真実へ導き入れるために方便=巧みな説法を用いたからなのです。 その方便の説法とは、声聞のための教え、辟支仏(縁覚)のための教え、そして菩薩のための教えで、あなた達の能力に合わせて三つの教えを説いたのです。それは、あなた達がそれぞれの悟りの世界に執着していますから、その心から解き放つために必要な方便説法でした。したがってそれらは、真実の教えではありませんし、あなた方が悟ったと思っているのは、真実の悟りではないのです。」舎利弗を始めとする仏弟子は驚くばかりです。   尊そして諸仏の偉大さや、その智慧と悟りの世界釈尊は『方便品』の冒頭で、開口一番「諸仏の智慧は甚深無量なり、その智慧の門は難解難入なり」と宣言されましたが、詩句に託し繰り返して、釈は広大深遠、そして広大無辺であり他者には理解し難いこと、またそれは、言葉にすることの適わない世界であることを再度告げられました。 さらには、菩薩や声聞、縁覚といわれる弟子たちが、たとえ数万人、数百万人それこそ砂の数ほ-42-

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