『法華経』に学ぶ
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ど集まり、智慧をしぼり無限の時間を費やして思考を重ねたとしても、その世界には到達できないことを告げられたのです。そして『法華経』のみが真実の教えで、以前の説法は、方便の教えであることを重ねて明かされたのでした。釈尊がじ成ょう道どう(悟りを得て)以来、四十余年が経    過していますが、長年にわたり付き従ってきた弟子たちの驚きは測り知れません。なぜならば、弟子たちは『法華経』以前に説かれたさまざまな教えに導かれ、悟りを得ました。そして、おのおのが最高の境地に至ったとばかり思っていたからです。それが『法華経』の説法が始まるや否や、この『法華経』は釈尊を始めとする諸仏の悟りであって「あなた達には理解できない」と突き放されました。また、すでに説いた教えは弟子の機き根こん(器量、能力)に合わせた仮(方便)の教えで、真実に導くための教えであることを再度明確に告げられたのですから、弟子たちの心中には驚きや戸惑い、さらには疑問等が渦巻いていたのです。そこで、弟子たちの心中を知った舎利弗は、自身もまた理解することができなかったので、一座を代表して釈尊に問いかけました。「どのような理由や、どのようないわれがあって、これほどまで懇切丁寧に諸仏の巧みなる教化の方法や、その悟られた甚深微妙で理解しがたい教えを称賛なさるのですか。わたしは昔から釈尊にお仕えし、そして修行を積みさまざまな教えを拝聴してきましたが、いまだかつてこのような教えを聞いたことはありませんでした。ここに集う男性の出家者、女性の出家者、そして在家の男女の修行者たちもみな一様に戸惑い、さらには疑念を抱いています。釈尊よ、どうぞお願い致します、わたしたちが理解し納得できるようお話しください。」-43-

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