『法華経』に学ぶ
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山せんと日本という空間を超えて、わたし達も舎利弗利弗の発した言葉に注目しますと「敬いの心をもって」そして「敬い信じます」との言葉がみえますが、そこには師匠である釈尊に対して、全幅の信を寄せる姿、絶対帰依の姿勢を知ることができます。これは、舎利弗一人に止まるものでは無く、その場にいる全ての仏弟子が、師匠釈尊に帰依を捧げ説法を心底願う姿なのです。さらに主体的に読む、つまり『法華経』の舞台に自身の姿を投じるとき、三千年という時間、そしてインドのり霊ょう鷲じゅと同じく、釈尊に絶対帰依の態度をもって、説法を懇請していると感じることができるのでしょう。さて、釈尊に三度も説法を拒まれた舎利弗ですが、決して引き下がることはしませんでした。自身はもちろんのこと、大衆の「疑念を晴らし、ぜひとも説法を願いたい」との思いを担っているわけですから、続けて三度目の説法要請を致します。 「どうか説法をお願い致します。どうぞ引き続き私たちに教えを説いて下さい。わたしは釈尊の長子です。なにとぞ、ここに集う弟子の為にも説いて下さい。必ずやその教えを敬い、そして帰依の心を生じ、大歓喜するでありましょう。」長子とは、財産継承者を意味しますから、舎利弗は釈尊の教えを継承する第一人者、そして仏弟子のリーダーとしての位置づけであることが確認できます。釈尊は舎利弗の三度に及ぶ要請を受け、ついに   き、よく考えなさい。あなた達のために詳細を解説法の再開を決断されました。「舎利弗よ、あなたは実に丁重に三度も説法の要請をしました、私は説かないわけにはいかないでしょう。さあよく聞説しましょう。」ところが、釈尊のこの言葉が終わるや否や「今さら聞くことがあるものか」と五千人もの人が、席を立ち去ってしまいます。これを「五ご千せん起き去こ」といいますが、席を立ち去ったこれらの人は、思い上がりが激しく、学ぶべきことがあ-45-

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