『法華経』に学ぶ
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すでに五千人の驕おごり高ぶった人たちは立ち去り、ょ  会座には舎利弗をはじめとする説法を真摯に願う、信心堅固で純粋な弟子たちだけが残りました。会座には、何とも言えぬ緊張感が漂っていたことでしょう。大勢の弟子たちが威厳に満ちた釈尊に向かい、最高の敬意をもって合掌し、説法を待望する姿が目に浮かびます。舎利弗の四度に及ぶ説法の懇請を受け、いよいよ釈尊は説法をお始めになられました。 「舎利弗よ、諸仏は説くべき時に妙法という最高の教えを説かれるのです。」 さて「説くべき時」とはいつでしょうか。釈尊は舎利弗の四度に及ぶ懇請を受けて、説法をお始めになられますから、「三さん止し四し請しう」の後とも考えられます。しかし、思いを巡らせれば、釈尊の説法はすでに三十歳成道以来、実に四十二年に及び、その間さまざまに巧みな手法を用いて説法(方便説法・対たい機き説法)をなされ、弟子たちを育て導いてこられました。これにより弟子たちは大いに成長を遂げ、今こうして説法の会座にいるのです。そして釈尊は、この時期を見計らって「真実の教え」を説かれるというのです。つまりここでいう「説くべき時」とは、四十余年にわたる方便説法の後、ということです。この方便説法の後、真実が説き明かされるという説法次第は、釈尊に限らず諸仏も同じで、悟りを開かれたのち、直ちに真実を明かされることは無く、方便説法の後に真実の教え『妙法蓮華経』が説かれるのです。 釈尊は続いて語られます「妙法という教えが説かれるということは、優う曇どん鉢ばっ華けの花に出遭うことと同じなのです」優曇鉢華は三千年に一度しか花を咲かせませんから、その機会を得るということ方便品第二⑥-48-

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