『法華経』に学ぶ
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釈尊を始めとする諸仏(すべての仏)は『妙法蓮華経』を説き、生きとし生けるすべてに「仏ぶっ知ち見けん」という物事の本質を正しく見極める仏の智慧が具わっていることを教えるために、この世に出現なされたのでした。またそれは、釈尊を始めとする諸仏と私たちとの間には、決して切り離すことのできない必然的な関係が、過去、現在、未来と一貫して存することを教えることにあります。これを「一大事因縁」と称することについては学びましたが、このことを一言で分かりやすく表現すれば「生きとし生けるすべては成仏できる」ということなのです。すなわちそれは、成仏は『法華経』に限り、他の経(教え)では、成仏は適わないということを意味します。これを明かすのが、方便品を中   葉しょう、須しゅ菩ぼ提だい、大だい迦か旃せん延ねん、大だい目もっ犍けん連れんという仏弟子の心とした「し迹ゃく門もん」といわれる前半十四章のテーマで、難しい言葉ですが「二に乗じょう作さ仏ぶつ」といいます。すでに紹介しましたが『方便品』は「法理説法」といい、教えの内容をストレートに説いたものですから、高度な智慧が要求されます。そこで釈尊は、次章の『譬喩品』で「三車火宅の譬え」を説き『方便品』の内容を譬え話に託して平易に解説されます。つづく第四章『信解品』では、大だい迦か中核をなす四人が「ち長ょう者じゃ窮ぐう子じの譬え」を述べて『譬喩品』の理解を表白するのです。さらに第七章『化け城じょう喩ゆ品ほん』で釈尊は「化け城じょう宝ほう処しょの譬え」を説き、これによりすべての仏弟子が、釈尊の真意を理解し成仏が認められるのです。つまり『方便品』以降の『譬喩品』、『化城喩品』は、それぞれ違った内容が説かれるのではなく、同じ内容が趣を変えて説かれているのです。 では『方便品』の文を訊ねていきましょう。方便品第二⑦-52-

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