『法華経』に学ぶ
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 (後半)「譬喩説周」    ・正説段 釈尊の説法『方便品』の内容を「三車火宅の喩え」で説くさて『譬喩品』は『方便品』の教説を継承し展開していきますが、『方便品』の教説に浴し、その内容を理解した舎利弗が躍り上がって歓び、その座から立ち上がり合掌し、釈尊の尊顔を仰ぎ見ながらその気持ちを吐露する場面から始まります。その様子を経文には「踊ゆ躍やく歓かん喜ぎ」と表現されていますが、それは、釈尊という最高の聖者に出会い、そして付き従い稀有なる最高の教えを拝聴し、最高の悟りを得たという舎利弗の未曽有の歓びの現れです。また「喜」とは、舎利弗の中に悟りが成就していることを意味し、その「喜」が充満し、それを身体的に表現することが「踊躍(躍りあがる)」ということになります。のちの舎利弗の言葉に「仏に従いたてまつりて、未だ聞かざる所の未曾有の法を聞いて諸の疑悔を断じ」とあります。仏教では、人間の行為を身と口と意(こころ)の三つに分類し、それを「身しん口く意いの三さん業ごう」といいますが「仏に従い」ということは「身」の喜びを表し、「法を聞いて」は「口」の喜びを、そして「疑悔を断じ」が「意」の喜びを表します。とにかく、今まで経験したことのない無上の喜びが舎利弗の中に充満しているのです。では、踊躍歓喜する舎利弗の言葉を訊ねてまいりましょう。「たった今、釈尊からまことに素晴らしい教えを拝聴致しました。私の心は歓びで充満し躍り上がっております。このような心持になることは、未だかつてないことであります。」まず舎利弗は、前章の『方便品』を拝聴するこ     とができた歓びの言葉を述べます。そして次に『方便品』を拝聴する今日までの思いを吐露致します。 「私は、昔から釈尊に従い数多くの説法を拝聴してきました。そして大勢の菩薩たちが成仏を認め-58-

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