『法華経』に学ぶ
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葉の中には「わたしは釈尊の長子(仏弟子のリーダー、仏法の継承者)です」との言葉がみられます。このことから『法華経』を拝聴した舎利弗は真の仏弟子として、また長子として「教えを説き他者を導く」という本来のあるべき姿、あるいは使命に目覚めたと理解することができるのです。また『方便品』の「聞もん法ぽう歓かん喜ぎ讃さんを聞いて歓喜し讃ほめて、乃至一言も発せば)」という文についてお話いたしましたが、舎利弗の誓いの言葉はまさにこの文と合致するところと思われます。さて、歓びの面持ちで舎利弗の告白を聞き終えられた釈尊は、直ちに舎利弗に語られます。ここからが「じ述ゅつ成じょう段だん」あるいは「如にょ来らい述じ成じょう段だん」といい、釈尊が舎利弗の述べた理解の内容を確認し、そして正当性を認可される段へと移ります。釈尊は舎利弗に告げられました。    乃ない至し発ほつ一いち言ごん(法ゅつ「舎利弗よ、私は数知れない大勢の聴衆の中で教えを説いています。私は遥かな昔から二万億もの仏のもとで、この上ない正しい道に導き入れるために、あなたを教化してきたのです。あなたもまた長い年月の間、私に付き従って学んできました。そして、私は巧みに方便を用いてあなたを導いてきました。それによって、あなたは今こうして私の説法の座に生まれてくることができたのです。」「舎利弗よ、私はかつてあなたに仏道を志すことを教えました。ところがあなたは、そのことをことごとく忘れてしまい、すでに自分は悟りを得て最高の境地に達していると思っていたのです。」 釈尊の説法は、今日の霊鷲山から始まったのではなく、遥かな過去以来続いており過去世より舎利弗を教化していたこと、また、その必然的な関わりがあればこそ、舎利弗はこうして『法華経』説法の会座に連なることができたことを明示され-66-

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