『法華経』に学ぶ
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知ち、み明ょう行ぎょう足そく、善ぜん逝ぜい、世せ間けん解げ、無む上じょう士じ、じ調ょう御ごじ丈ょう夫ぶ、天てん人にん師し、仏ぶつ、世尊と世の人々から称賛される舎利弗が『方便品』を正しく理解しているとお      法は、ここ(『譬喩品』の前半)で一応の結論をみ認めになられた釈尊は、いよいよ舎利弗に「必ず成仏するであろう」との保証をお授けになられます。ここから「授じゅ記き段だん」あるいは「如にょ来らい授じゅ記き段だん」といわれる段に移行いたします。すなわちここで、舎利弗に向けての説法(教化)が幕を閉じることになり『方便品』から始まった舎利弗に対する説ることになります。 さて、釈尊が仏弟子に対して「将来、必ず成仏する」と予言すること、あるいは保証を授けることを「授記」といいます。この段が「授記段」、「如来授記段」といわれる理由です。成仏の予言、保証を授ける側、つまり如来=釈尊からすれば「授記」と表記いたしますが、釈尊から成仏の予言、保証を受ける仏弟子の立場からすれば「受記」となります。て授記されたのか、そのお言葉を訊たずねてまいりましょう。「舎利弗よ、あなたは未来世において、無量無辺不可思議劫という長い時間を経て、千万億もの仏に仕え、さらには供養を捧げ、正法を持ち菩薩としてなすべき修行を成し遂げれば、必ず仏となることができるでしょう。その名は華け光こう如にょ来らいといいます。また応おう供ぐ、し正ょう徧へんでしょう。 舎利弗よ、あなたが華光如来として教化活動する仏国土を離り垢くといいます。それは、すべての穢れから離れた国土、すなわち清らかな国土というそれでは、釈尊が舎利弗に対しどのようにし譬喩品第三④-68-

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