『法華経』に学ぶ
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り注いだのです。舎利弗をはじめとする一会の大衆が歓喜し、釈尊に供養を捧げる姿、天上界の神々が釈尊に天衣や華を供養する姿、そしてその天衣や華が空中に舞い上がり、釈尊を讃歎し供養する様子が目に浮かびます。そのような中で天上界の神々は「釈尊はその昔ょ ょ  ヴァーラーナシー(ベナレス、インド北東部ガンジス河沿いの都市)の鹿ろく野や苑おん(サールナート)において、ともに城を出た五人の出家僧に対して、はじめて説法なさいました。今またこの霊鷲山において、この上無い最高の説法をして下さいました。仏弟子たちはみな歓喜に満ち溢れています。釈尊は巧みな説法をもって私たちを真実へとお導き下さいます。」と重ねて釈尊の説法を讃えられ、さらには「私たちが所有する今こん生じうと過去世の福徳、さらには釈尊に出会えた功徳のすべてを仏道(悟りへつづく道)に回向(功徳をめぐらすこと)延ねん、大だい目もっ犍けん連れん、釈尊の実子である羅ら睺ご羅らたち一万波は提だい、また釈尊の太子時代の妃であった耶や輸しゅ陀だ羅ら致します。」と誓いの言葉を述べたのです。ところで、第一章『序品』では『法華経』の会座に集った人々を「声聞衆」、「菩薩衆」、「雑衆」と三つに分類し紹介されています。この中でも、釈尊から直接教化を受けた人々のグループを「声聞衆」といいますが、その数は「大比丘衆」と称せられる舎利弗や大だい迦か葉しう、慧え命みょう須しゅ菩ぼ提だい、大だい迦か旃せん二千人がいます。そして、声聞の中でも学ぶべきことがなくなった「無学」といわれる修行者と、学ぶ途上にある「有う学がく」といわれる修行者が二千人いました。さらには、「比丘尼」と称せられる女性の出家者たち六千人の姿があります。ちなみに、この集団の中には、釈尊の生母である摩耶夫人の妹で、夫人の死後に釈尊の養母となった摩ま訶か波は闍じゃがいます。 さて、これらの人たちの数を合わせると二万人-73-

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