『法華経』に学ぶ
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偈頌を少し訊ねてみましょう。 「屋敷内には、有う象ぞう無む象ぞうの猛獣や猛もう禽きん、そして昆虫に毒虫、さらには人に害をなし寿命を奪う夜叉や悪鬼、魑ち魅み(山のばけ物)魍もう魎りう(川のばけ物)などがち跳ょう梁りう(跳ね回り)跋ばっ扈こ(のさばりはびこる)しているのです。また屎し尿にうは垂れ流しの状態で、あたりには悪臭が充満しています。」それにしても、目をそらし耳も塞ぎたくなるような何ともおどろおどろしい、身の毛もよだつおぞましい状況なのですが、子供たち(私たち)は、それらにまったく気づきません。気づきませんから恐れもせずに、ただただ遊びほうけているのです。 「そこで父である長者は、『お前たちの好きな羊車、鹿車、牛車があるよ』と、方便をもって誘い導き、子供たちを屋敷から無事に救い出したのです。そして子供たちの無事を確認した後に、大白牛車という唯一無二の最高の車を一人一人の子供に平等に与えたのです。」 ょょょ  釈尊は続けて語られます。「あなた達の住む世界(三界)は、まるで安心して住めるようなところではありません。それは燃えさかる炎に包まれた、すなわち火宅のようなものなのです。そこにはさまざまな苦しみや迷いが満ち溢れ、実に恐ろしいところです。そのようなところですから、常に生老病死という苦しみに憂い患わされ悩んでいるのです。そして、これらの苦しみが猛火となって間断なく襲いかかってくるのです。如来(釈尊)は、すでに炎に包まれた火宅のようなところを離れていますから、実に穏やかで心安らぎ、まるで大自然の原野の中にいるような心地なのです。ところでこの三界は、私が所有する家なのです。ですから、その中に居住する生きとし生けるすべては、一人として漏れることなく私の子供なのです。その子供たちが住むところは、数多くの苦しみや迷いが渦巻いています。そのようなところから、導き救い出せるのは私た-82-

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