『法華経』に学ぶ
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鎌倉時代の仏教界を一いち瞥べつすると、南なん都とろ( 六り)く 宗といわれる三論宗、じ成ょう実じつ宗しう、法ほっ相そう宗しう、倶く舎しゃ宗しう、律宗、華厳宗の六つの宗派、さらに平安二宗といわれる真言宗、天台宗がありました。そして鎌倉時代に入ると、鎌倉新仏教といわれるように、浄土宗、禅宗等が次々と興ります。この鎌倉新仏教といわれる各宗開祖の中で、最後に登場なされたのが日蓮聖人です。つまり、日蓮聖人は十宗乱立の時代にお生まれになられたのです。 さて十宗乱立と表現しましたが、世間一般的には百花繚乱と表現されるかもしれません。先述のとおり、日本に仏教が伝来して以来、仏教宗派が多数興りました。大阪の四天王寺を始め、比叡山に高野山、奈良や京都、そして鎌倉等に次々と立   ゅゅゅ 派な堂塔伽藍が建つ姿を見れば、それは百花繚乱と表現されるでしょう。ところが、日蓮聖人の目にはそのようには映りませんでした。「堂塔伽藍は甍いらか(瓦屋根)をつらね、立派な経蔵も建ち並んでいます。数多くの僧侶がいますし、信仰の篤い信者もたくさんいます。ところがそれは、まるで表面的なことであって、実のところ僧侶は諂へつらい邪な心で人を惑わしています。国王も民も愚かで、何が正しくて何が間違いなのかを分別することができないのです」と指摘なさいます。日蓮聖人が釈尊を仏教の教主として、つまり帰依の対象として定められたことについては触れましたが、すなわちそれは「本尊」として定められたことを意味します。日蓮聖人の見解からすれば、たとえ堂塔伽藍が立派であっても、名僧、高僧と称される僧侶がいて、帰依を捧げる信者が数あまた多いたとしても、釈尊以外の仏を本尊と仰ぎ『法華経』譬喩品第三⑧-84-

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