『法華経』に学ぶ
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 『譬喩品』の次に展開されるのは『信しん解げ品ほん』です。題号の「信」とは「三車火宅の喩え」を聞いた仏弟子が、過去の疑惑を断じて大乗の教えを信じることで、「解」とは、進んで大乗の教えを学び修行することを意味します。さて、私たちの思考からすると「理解したから信じる」となるのが通常ですから『解信品』となるように感じられます。ところが『法華経』ではそれは認められない姿勢なのです。『法華経』では、何はさておき「信」が先にあり、そしてそこから「解(理解)」が生じるということなのです。 例えば『方便品』の舞台を思い返してください。釈尊は再三説法を懇請する舎利弗に対して「信力堅固」「大信力を生ずべし」と「信」をお求めにな   られました。それに応えて舎利弗が「敬い信じます」と述べて舎利弗の「信」が確認されたのちに説法が開始されました。また『譬喩品』で『方便品』の理解を述べた舎利弗に対して、釈尊が語られたお言葉に注意深く耳を傾けますと「舎利弗よ、あなたは弟子の中でも智慧第一と呼ばれ、特に聡明な弟子であります。しかしこの『法華経』をあなたが理解することができたのは「信」があればこそ、理解することができたのです。智慧で理解したのではないのです。智慧第一、大智と呼ばれるあなたですらそうなのですから、ほかの弟子は言うに及びません。私のことばを無二に信じるからこそ『法華経』を理解することができるのです。各々の知識や智慧で、仏の広大深淵なる智慧の世界を理解できるものではありません。ただ「信」のみによって仏の智慧の世界に入ることができるのです」とあります。 「信」について日蓮聖人は「仏道に入り、教えを信解品第四①-88-

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