『法華経』に学ぶ
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学ぶ根本は信よりほかにありません。信が基本中の基本なのです」また「もし信心がなくて『法華経』を学び修行するというならば、それは手がなくて宝の山に入り宝を探すようなものです。また足が無いのに、千里の道のりを進もうとするようなものなのです」と私たちが『法華経』に学ぶ姿勢として「信」の大切さを教えてくださいました。 『如来寿量品』の偈頌、いわゆる『自我偈』の文を訊ねますと「汝等有智者智有らん者ここに於いて疑いを生ずること勿なかれ)」とあります。智慧のある者=智慧者は疑いを生じてはならない、ということですから、逆の表現をすれば「疑いを生じない者、仏の言葉を無二に信じる者は智慧者だ」といえるでしょう。 さて『信解品』は前章『譬喩品』の後半で釈尊が『方便品』を「三車火宅の喩え」を用いて話されたことを聞いた四人の仏弟子、すなわち中根(中級者・中級レベル)の四大声聞といわれる「慧えみ命ょう勿於此生疑(汝なん等だち、   ょ須しゅ菩ぼ提だい、摩ま訶か迦か旃せん延ねん、摩ま訶か迦か葉しう、摩ま訶か目もっ犍けん連れん」の四人が、その領解(理解)を述べるところから始まります。四人に「慧明」「摩訶」と尊称がつけられていますが「慧明」とは、優れていることを意味し、「摩訶」とは、偉大なことを意味します。この四人の仏弟子が「四大声聞」といわれる由縁で、仏弟子のリーダー格であったことがわかります。それでは経文を訊ねてまいりましょう。「三車火宅の喩えを拝聴した、須菩提、迦旃延、迦葉、目犍連の四人は、今まで聞いたことのない素晴らしい教えを聞き、さらには舎利弗が釈尊から「あなたは、この上ない悟りを得ることができるでしょう」と成仏の予言を授けられたことを目の当りにして、これは何とも素晴らしいことだと感じ、大いに喜び躍り上がり、その座から立ち上がりました。そして、衣服を整え、襟を正し右の肩をあらわにしました。さらには右の膝を地につけて合掌し、身体をかがめて釈尊に尊敬の念を表-89-

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