『法華経』に学ぶ
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しました」 「右の肩をあらわにし」とありますが、これはインド古来の礼法で、敬いの心を表したものです。今でも僧侶が袈裟を着用する際、左肩に袈裟をかけ、右肩を空けているのもこれに由来します。さて四人の仏弟子たちは、釈尊に最尊最上の礼   さらに最上の悟りを進んで求めようともしません法を終えたのち、その尊いお顔を仰ぎ見て次のように告白しました。 「私たち四人は、仏弟子たちの中でも最上位に位置していますが、い徒たずらに年を重ねてきました。私たちは、すでに悟りを得たと思っていましたので、でした。 釈尊が昔に説法なされてから、すでに多くの年月が経過いたしました。その間私たちは説法の座に同席しておりましたが、身体は疲れ果て、さらには怠け心までも生じてきました。 ただひたすらに、声聞としての修行に励むのみで、菩薩の方々が自由自在に活躍せられ、仏の国土を清め、多くの人々を教え導かれることについても、興味も関心もなく、自分もそのようにありたいとはまるで望みませんでした。それというのも、釈尊が私たちを苦しみに満ちた三界から救い出してくださり、涅槃の悟りを得させてくださったからなのです。私たちは、すっかり年を取り老いぼれてしまいました。私たちは、釈尊が菩薩に教えられた最高の教えに対しても、一度たりとも喜び願うという心を起こしたことはなかったのです。ところが私たちは、このたび舎利弗が釈尊から成仏の保証を授けられたことを聞いて、心から感激し、大いに喜びました。このような気持ちになることは、いまだかつて経験したことがありませんでした。 いま突然に、過去に聞くことのできなかった、まれなる素晴らしい教えを聞くことができる機会-90-

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