三大秘宝について「本尊 戒壇 題目」
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教義書、消息文、佐前、佐後のご妙判も、みんな一つの舞台に上げて論じていけば、もう無茶苦茶になってしまいます。ルール無用の無法地帯になってしまいますからご注意ください。さて以前に、この三大秘法の順について、とある場所でお話致しましたところ「それはおかしいだろう」と反駁されました。「茂田井先生、浅井先生、誰だか知らないけれども、『宗義大綱』に必ず「本尊、題目、戒壇」という順序になっているのだから、絶対なんだ。その順序でなければならないんだ」と。私、耳を疑いました。こんな時に使ったら怒られますが、まさに「惑耳驚心 よ。「日蓮大聖人が列記された順序が……」と申し驚動耳目」でした上げても、聞く耳を持っていただけません。私にはよく解りませんが、日蓮大聖人より優先しなければならない重要なことがあるのでしょうか。どうでしょう。やはり、日蓮大聖人に習っていく事が何にも増して大切ではないでしょうか。否、これより他にないと思うのですが……もし仮に、日蓮大聖人に習わないのであれば、   主義主張は、日蓮大聖人と同じでなければならな日蓮門下から身を引いて頂く必要があると思います。そうしませんと、日蓮大聖人に御迷惑が掛かると思うのです。確か国柱会の田中智学居士だったと思うのですが「日蓮大聖人と我々は違う。だからといって、主義主張まで変えてはならない。い。同不同の二判がある」と仰いました。当たり前のことを指摘されていますが、残念なことにと11

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