三大秘宝について「本尊 戒壇 題目」
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品』において、地の底から涌出して来たお弟子方を指して「我従久遠来 久遠が明かされますね。仏の久遠開顕の前に、お弟子の久遠が明かされるのです。「久遠より教化してきた」ということは、眼の前の釈尊が久遠より寿命を持ち、そして教化し続ける師匠だということになります。ここで、暗に久遠実成を顕わしますから「略開近顕遠」或いは「略開迹顕本」といいます。どちらの語を用いても、差支えないと思いますが、天台大師は「若し文の便を取らばまさに開近顕遠と言うべし。若し義の便を取らばまさに本迹と言うべし。」と仰っています。ところが、対告衆のお弟子達は、久遠ということを信じることが出来ない。なぜならば、眼の前の釈尊は、既に七十半ばの老比丘の姿であります。教化是等衆」とお弟子の地より涌出した菩薩のほうが大層立派に見えたんですね。師匠よりも弟子の方が立派に見えた。経文には「身皆金色 三十二相が具わっているとあります。お釈迦様は弟子と仰るけれども、三十成道で、四十年そこそこの僅かな時間で、これだけ数多くのお弟子を何時如何様にして教化することが出来たのか。「仏得道甚近 ります。三十才で成道して、法華経の説法が七十二才からです。『涌出品』の説法がおいくつか解りませんが、七十半ばでしょう。三十成道以来、四十年そこそこしか経っていない。にも関わらず「成就したまえる所は甚だ多し」その僅かの間に、地より涌出した大勢のお弟子(菩薩)をどのように教化できたのか。とあります。三十二相」身は金色にして、所成就甚多」「仏の得道は甚だ近し」とあ 16

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