三大秘宝について「本尊 戒壇 題目」
19/68

弥勒菩薩は、今迄数多くの仏弟子をご覧になら  「願仏為未来 演説令開解」「願わくは仏、未来のれてきましたが、地より涌出した「六万恒河沙の菩薩」つまり「地涌の菩薩」を一人もご存知ない。「乃不識一人」と経文にあります。ここで、弥勒菩薩は実に面白い譬をもって、この事について釈尊に尋ねますね。「年二十五歳なる青年が、年百歳なる翁に向かって、これは、我が息子だ。また逆に、年百歳なる翁が、年二十五歳なる青年に向かって、これは、わが父だと言うのと同じだ。」「父少而子老、父は若く子は老いたり。」と釈尊に疑問を呈し為に演説し開解したまえ」と仰るんですね。この語を注意深く拝読しますとね、弥勒菩薩は、自分の為に「父少而子老」について答えて下さいとは仰って無いんですよ。「未来の為に」と仰ってるんですね。「未来の為に」とは、滅後に生きる私達の為に、ということですね。仮に、弥勒菩薩のこの言葉が無かったとしたならば、釈尊は『寿量品』を説くことがなく、私達は『寿量品』の法門に浴することがなかった。仏寿久遠、久遠教化を知ることが無かったということです。この「願仏為未来 演説令開解」があればこその『寿量品』だということをもう一度深く味わう必要があるのではないか?そのように感じます。私達は普段の朝勤や法事の折に、殆どの場合「妙法蓮華経方便品第二、爾時世尊……本末究竟等。」「妙法蓮華経如来寿量品第十六、自我得仏来……」と流れ作業のように読んでいる傾向があると思うのですが、『寿量品』が説かれる前には、このよう17

元のページ  ../index.html#19

このブックを見る