三大秘宝について「本尊 戒壇 題目」
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月」ということです。つまり、各地にいると説かれた仏は、分身仏ということです。分身仏は、その地において、限られたところにおいて教化をなさいます。この各所各地にいる分身仏を統一する、言い方に語弊があるかも知れませんが、相元締めが本仏なのです。本体が本仏なのです。あちこちに偏在する分身仏を統一しますから、言ってみれば空間の統一です。或いは、空間を超越すると言っても良いと思います。先ほどの涌出品では「略開迹顕本」といいましたが、寿量品で釈尊の久遠が正式に開顕されますから「開迹顕本」といいます。字を補足しますと、理解し易いと思います。「開迹(仏)顕本(仏)」迹仏という姿を開いて本仏を顕わす。本仏にはもう一つ本覚仏という意味があります。  しますと、意味が取り易いと思いますね。「開近本覚仏は、始めから悟りを開いているという意味です。ですから、先ほどの「釈尊の因行果徳の二法……」の「因行」を悟りを得る為の因行と解説してはならない。ということなのです。これを「開近顕遠」と言います。これもまた、一字補足を致(成)顕遠(成)」伽耶近成の姿を開いて、無始久遠成道の姿を顕すということです。『寿量品』の経文でいえば「皆謂今釈迦牟尼仏。出釈氏宮。去伽耶城不遠。坐於道場。得阿耨多羅三藐三菩提。」これが、迹仏の姿、開迹、開近の経文です。楽行六年、苦行六年を経て菩提樹下で悟りを開いた。法華経会座の大衆は、目の前のお釈迦様は、伽耶城を去って三十歳で成道したと思っている。ところ26

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